1870年代後半、イギリスで世界最初のサイクリング同好者の組織が誕生し、日本でも1886年に結成された帝国大学の教員による「自転車会」を嚆矢として自転車クラブが設立されるようになるなど、世界的にサイクリングが普及していった。
日本では、自転車が当初富裕層の娯楽として受け入れられ、大正期に普及が本格化すると業務や家庭の実用に供された。1935年に本格的なスポーツ車が作られ始めるが、戦争によりこの流れはいったん途絶える。第二次世界大戦後、1950年代頃からサイクリングが野外での健康的なスポーツとして認識され始め、全国各地に同好クラブが設立されるようになった。特に1954年、荷物を載せるための運搬車ではなく人が乗るだけの軽快車やディレーラーを備えたスポーツ車が現れるようになり、サイクリングが流行した。これを受けて、ベテランサイクリストらにより、日本サイクリング協会が結成され、ボランティアの普及活動が始まった。サイクリング向きの自転車は生産量がまだ十分でなく高価であったため貸自転車の利用が中心であり、また指導者が不足したことなどから短期間のブームに終わった(「第1次サイクリングブーム」)。
1961年のスポーツ振興法の制定により、自転車旅行・サイクリングは国民の健全なスポーツとして国が奨励するものとなった。1964年の東京オリンピック開催に向けスポーツ自転車の研究が進み、第2次サイクリングブームが起こった。また1964年には財団法人日本サイクリング協会(Japan Cycling Association, JCA)が発足した。1966年にはスポーツ車の需要急増に伴い、生産が大幅に増加した。第1回の体育の日となったこの年の10月10日、国鉄大阪鉄道局が大阪駅〜相生駅間で初のサイクリング専用電車(サイクルトレイン)を運行した。その後東京でも同様の列車が運行された。翌1967年10月10日には、日本で初めてのサイクリング用道路、神奈川県青少年サイクリングコース(金目川サイクリングコース)が開通した。
1970年に自転車道の整備等に関する法律が成立し、自治体と河川管理者などの協力によってサイクリングロードが建設されるようになり、太平洋岸自転車道のような長大な自転車道も構想された。この頃日本の自転車産業ではランドナー、スポルティーフ、キャンピング車といった自転車旅行(ツーリング)向きの自転車の生産が盛んで、またブリヂストン・ロードマンに代表される「サイクリング車」が好評を博した。また1974年から1982年まで、自転車で日本一周に挑戦する少年を主人公とする漫画『サイクル野郎』が連載された。